漆掻き道具 その2|漆掻き技術(6)
前回(漆掻き道具 その1)で見た道具の中で、漆掻きさんが自作できるものはタガッポウとドウグブクロです。
多くの道具は鍛冶から購入して、それに柄をつけて用いています。ヘラを自作する漆掻きさんは時には見られます。
タガッポウの自作
タガッポウは漆液を流し落とす円筒形の樹皮の入れ物容器で、手首に提げて用います。樹皮が堅くなると不都合であることから、漆掻きさんはその年に最低一個は作るといいます。
樹皮はシナノキを最良とするようですが、軽量さのためホオノキを用います。かつてホオノキ1本を伐採すると、数人の漆掻きさんが集まり、自分のものとして数個ずつ製作したといいます。
入梅となり漆掻きが始まると、最初の漆液に小麦粉を混ぜ合わせて糊とし、杉板を底板として接着して自作したものです。
漆掻き道具づくりの鍛冶
カワムキをはじめとする道具は、刃物鍛冶なら製作できそうなものですがなかなか難しいようです。
「漆掻き用具製作」の名のもとに選定保存技術の保持者として認定される方が、青森県田子町の遠瀬鍛冶(とおせかじ)と呼ばれる中畑文利さんです。保持者であった父から技術を受け継ぎ、漆掻き道具一式を製作する国内唯一の存在ではないでしょうか。
最も特色ある道具はカキカンナです。別名は漆鎌、カキガマ、カンナ、ウルシカンナなどとも呼ばれるものです。
鎌口と目さし(アヤともいう)の二つの部分に分けられる刃物であり、この小さな鍛冶製品の発明によって漆掻きにおいて越前人の独占するところとなり、ついに越前式殺掻法が日本国内を征服したと考えることができるのです。
この状況を、福井県では「これはわが国産業史上稀有な珍現象というべきであろう」と記した文献(『郷土史往来』)がありました。
『復刻版 男大迹部志』の「漆鎌」の項目には、以下の記述があります。
古來越前の國産の一にして、邑特産の一たる漆鎌の製造は、今の本町時計商春田惣兵衛先祖惣兵衛を元祖とす。この人は、百九十八年前寶永四年に歿す。家は近代までは、製造元本家たり。(中略)現製造元中には下佐山町角藤四郎、仲佐山町宇野五郎左衛門、新橋町宇野由松等のごときもあり。鎌製造法につきては、以前はクヅシ掻なるものを主とせしが、後にはメザシといへるを重なるものとなすに至りたるなりといふ。
ウルシカンナの製作では、昭和になると
宇野由松さんは「まるよし(○の中に由)」の商標を用い、
その後宇野五郎左衛門さんは「まるご(○の中に五)」を用いて昭和40年台後半まで、
その後は「まると(○の中にと)」の中畑さんへと技術が伝わってきたと考えられます。
執筆者プロフィール
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昭和30年 青森県三戸郡新郷村谷地中に生まれる。
昭和52年 弘前大学 工業試験場 漆工課卒業
昭和52年~ 教職に携わり夏休み中に全国の漆産地を行脚
平成8年~ 平成21年度青森県史編纂調査研究員(文化財部会推薦)
平成28年~平成31年3月 青森県新郷村教育委員会教育長
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