漆掻きさんを取りまとめる人物を元締と呼び、時期によっては漆集荷人とも漆業者ともいいました。
そして、そのような人物の多くは福井県出身の者であったことは、これまでの記述から明らかでしょう。
福井県人の活躍を象徴する組織がかつてありましたので、紹介します。
昭和17年8月の『國産生漆集荷竝檢査規定提要』を見てみます。
昭和17年、原料生漆配給統制にかかわり、日本東部生漆生産集荷組合聯合會という組織が設立ました。
聯合會々員は、
- 南部生漆生産出荷組合(出資口数1,230、集荷所7か所)
- 秋田縣生漆集荷組合(100、4か所)
- 山形縣森林組合聯合會(100、4か所)
- 宮城縣國産漆統制組合(100、2か所)
- 福島縣生漆生産集荷組合(470、1か所)
の5組合です。
南部生漆生産出荷組合は、出資口数や集荷所数からみて聯合會の中核となる存在であったと考えられます。
所属組合 | 集荷所名称 | 集 荷 所 位 置 |
南部生漆生産集荷組合 | 一戸 | 岩手縣二戸郡一戸町 若杉 稔 方 |
福岡 | 岩手縣二戸郡石切所村 藤田 與三郎方 | |
浄法寺第一 | 岩手縣二戸郡浄法寺町大字浄法寺 小田島 閑二 方 | |
浄法寺第二 | 岩手縣二戸郡浄法寺町大字漆澤 增田 六平 方 | |
三戸 | 靑森縣三戸郡三戸町同心町 佐々木 官重 方 | |
田子 | 靑森縣三戸郡田子町 上坂 謙治 方 | |
弘前 | 弘前市和徳町一一八 安達甚右衛門方 |
青森・岩手両県の集荷所は受檢所を兼ねていました。福岡受檢所の位置は岩手縣二戸郡北福岡驛前とありますが、氏名は同じです。
浄法寺第二受檢所の位置は增田榮松方となっています。
以下に青森・岩手両県の聯合會の役員を見てみます。
理事長は小田島閑二、專務理事は佐々木官重、理事8名の中で若杉稔、增田六平、上坂謙治の3名が占め、監事5名の中に小林忠兵衛と安達甚右衛門がいます。職員として主事と書記は岩手県庁職員が務め、検査員8名の中には若杉稔、增田榮松、藤田與三郎、佐々木官重の4名が見えます。
其他には集荷所主任が14名あり、小田島閑二、增田六平、若杉稔、小林忠兵衛、佐々木官重、上坂謙治、安達甚右衛門の7名が名を連ねます。小田島閑二さんだけが地元浄法寺町の旧家出身であり、他は皆福井県に関係します。若杉、藤田、安達は福井県出身ですし、若杉は旧姓塚田といいお婿さんになりました。
このように見てくると、同一人物が数回名を連ねています。
役職を分け合っているということは、昭和戦中には利益も分け合おうとしていたと考えられます。
越前衆は利益を得るとともに農村社会に現金収入をもたらし、田舎の文化を支える場面があったことに感謝したいと思います。
執筆者プロフィール
橋本芳弘
昭和30年 青森県三戸郡新郷村谷地中に生まれる。
昭和52年 弘前大学 工業試験場 漆工課卒業
昭和52年~ 教職に携わり夏休み中に全国の漆産地を行脚
平成8年~ 平成21年度青森県史編纂調査研究員(文化財部会推薦)
平成28年~平成31年3月 青森県新郷村教育委員会教育長