福井県で発行された『服間ふるさと語り 漆・鎌・蚕』という書籍があります。
内容は、服間地区の人々への聞き取り調査がもとになっています。以下に示します。
初代小林忠兵衛さんは、福井県今立郡岡本村島の生まれで、本名は小林岩作さんです。
明治のはじめから(増田氏と同じころからとも記述)南部へ漆掻きに行き、岩手県一戸町に住居を構えました。そして、途中から漆の仲買をするようになったとのことです。
二代小林忠兵衛さんの本名は、小林斉さんといいます。
昭和15年から同40年まで、漆の仲買を主としたようです。
三代小林忠兵衛さんは小林正秀さんであり、昭和31年から漆の仲買を専門としてきました。
三代目の奥さんの話を紹介しています。
「土蔵の改築の時に、ワラジが沢山出て来たのでびっくりしたとの事です。南部への道のりが遠いために、一人で何拾足ももっていくために、常に沢山のワラジを用意しておいたとのことです。」
漆掻きさんからはじまり、やがて仲買へと転じさらには漆掻きの元締となってきたようです。
平成20年代前半までは、毎年6月になると一戸町にやってきて、漆掻きさんを回り歩いて仲買を営み、12月には福井県に帰るという繰り返しだったようです。
三代小林忠兵衛さんから古い帳簿を見せていただいたことがあります。
その中の一冊の背表紙には『阿羽木出荷原簿』とありました。
本来の漢字表記は「網端木(あばき)」であり、漁網にとりつける浮木としてウルシノキを出荷した記録です。耐水性があり比重の小さなウルシノキの樹幹を加工した阿羽木を、一戸駅から鉄道便で送り出した記録でした。
記録の期間は昭和25年から同39年までのものでした。
送り先は北海道各地の漁業者が圧倒的に多く、宮城、岩手、青森の3県へも送られていました。
ウルシノキの樹幹をそのまま送ったものもありましたが、加工された阿羽木を5,000本、10,000枚というように大量に送り出していました。
魚種や漁法により、阿羽木の寸法や仕上げ方は異なっているのだなと思い返しました。
(ガラス玉が開発される以前には、ウルシノキが網端木として用いられていたのです。)
執筆者プロフィール
橋本芳弘
昭和30年 青森県三戸郡新郷村谷地中に生まれる。
昭和52年 弘前大学 工業試験場 漆工課卒業
昭和52年~ 教職に携わり夏休み中に全国の漆産地を行脚
平成8年~ 平成21年度青森県史編纂調査研究員(文化財部会推薦)
平成28年~平成31年3月 青森県新郷村教育委員会教育長