擾乱期でも続いた漆生産 <中世の日本>
中世期の漆工品の優品は思い浮かぶのですが、栽培や生産については自分の蓄えがなく、探してみました。『現代日本漆工総覧』の中に次の一文を見つけました。
「平安末期からの戦乱、南北朝時代から戦国時代へかけての全国的動乱は、漆が工芸品の外に、武具、軍器の製作に使用され、その方面の技術的進歩があったが、漆樹の植栽については、衰微の傾向をたどったものと思われる。」
『増訂工芸志料』の中にも2点ありました。
「正応年間漆を産する諸国の中、其の出す所最も多きものは紀伊国となす〔この他漆を産する国数多ある可し、然れども著名ならざるを以って掲げず〕。」
「延元元年一千九百九十六年(1336)後醍醐天皇、皇居を大和の吉野に遷す。(略)此の際漆を産することの多きは大和国〔吉野郡〕と為す。」
正応年間は1288~1293年です。鎌倉時代から室町時代にかけては鎌倉彫や根来塗、そして春慶塗が創作され、各地へ広まったものもあることから考えると、漆生産は各地で続いていたことはまちがいないと思います。 荘園内であったのかもしれませんが、生産地域を把握することができませんでした。
中世については内容不足なので、以下の項目を勝手に追加します。
ウルシの葉は紅葉か?黄葉か?
ウルシ科ウルシ属の植物は、ツタウルシ、ヌルデ、ハゼノキ、ヤマハゼ、ヤマウルシ、そしてウルシノキの6種が国内に自生し、ハゼノキ、ヤマハゼを除いた4種が東北地方に生育するといわれています。その4種については、かつて数年にわたり観察記録したことがありました。(2000年代に入り、ヌルデはヌルデ属と分類されています。)
ウルシ属の秋の紅葉は、その美しさが古くから短歌等に詠まれてきたものです。短歌や俳句で取り上げる紅葉はウルシノキとは限らず、ウルシ属全ての植物であると理解はしているものの、ふと首をかしげる歌に出会うことがあります。
「あたりまであかるき漆紅葉かな」
「山うるしかかれて早きもみぢかな」
(この後は自分の勝手な意見です)秋のウルシノキの葉を見ると、多くは黄色から黄土色へ変化し、黄葉であると自分は見ています。ただ、時には(数年に1本くらいの割合ですが)赤色近くに変色するウルシノキを見るときがあるのも事実です。これは土壌の影響かもしれません。ツタウルシ、ヌルデ、ヤマウルシの3種は紅葉するという表現は合っています。自分は、葉が光沢のある紅に変化するヤマウルシの綺麗さに目を奪われます。
ヤマウルシから漆液が採取されることはないと考えます。自分の周りのヤマウルシは10年以上経ても太さがなく、傷つけても採取できるほどの量が滲出しないのです。過去においてどこかで採取されたのかも。
執筆者プロフィール
橋本芳弘
昭和30年 青森県三戸郡新郷村谷地中に生まれる。
昭和52年 弘前大学 工業試験場 漆工課卒業
昭和52年~ 教職に携わり夏休み中に全国の漆産地を行脚
平成8年~ 平成21年度青森県史編纂調査研究員(文化財部会推薦)
平成28年~平成31年3月 青森県新郷村教育委員会教育長