新潟県柏崎市 佐藤佐平さん
佐藤家は、庄右衛門さん・平助さん・佐平さんと親子三代にわたり漆掻きを家業としてきました。
現柏崎市西長鳥はかつての北条郷であり、江戸時代からウルシノキが栽培され漆掻きも盛んで、この地域から採取される漆液は昭和戦前までは「山澗(やまだに)漆」と呼ばれる良質漆であったといいます。
戦後の一時期漆掻きさんは50人にも達し、女性の漆掻きさんも出現したほど活況を呈したそうです。
佐平さんは、昭和14・5年ごろ、南魚沼郡で他地域の漆掻きさんと出会い、その後の自分の技法を確立したといいます。
能登の漆掻きさんは、半夏30日前頃から目を立て早々と目を伸ばし、17回ほど目を立てると漆掻きを終了して帰ります。
一方、同県猿沢の漆掻きさんは「半夏10日前には目を立てろ」と、能登より半月おくれて始め、目は伸ばさず樹皮に隙間を多くして霜が降るころまで採取を続けています。
この違いに気づいた佐平さんは、両者を比較検討し実験的な採取を繰り返し、自分なりの技法を身に付けました。その技法は裏目掻や枝掻は行わず、一シーズンを通し辺掻のみであることに特色があります。
「ウルシノキを生かさず殺さず、1年分の水(みず)すいを漆にして採る方法」なのです。
新潟県朝日村 渡邊勘太郎さん
朝日村内には猿沢の集落があり、かつての猿沢村です。ここは越後漆生産の中心地だったところです。この地域では1800年代前半に地元での農閑余業として着目されるようになり、次第に旅稼ぎ(出稼ぎ)の度を深めて漆業者も現れ、明治期の産地へつながったようです。
昭和11年、17歳の勘太郎さんは、父が植栽したウルシノキへの漆掻きを始めます。師匠はなく、近所の漆掻きさんたちから聞きながら技術を身に付けたといいます。
その後は地元の親方の職人となったり、旅稼ぎをしたり、旅先で職人を雇ったりして朝日村以外の漆掻き技術にもふれ、自分の技法の向上をめざしてきました。その結果、会津地方へ漆掻きの技術指導に出かけて活躍しています。
勘太郎さんの漆掻き技法の工夫を紹介します。
まず、「流し皮」。傷からこぼれる漆液へ対処するために外樹皮を予め平滑にしておくことです。
次に「二才掻き」です。1年目は辺掻を少なくし数年後に再び辺掻をするというように、二シーズンにわたって同一のウルシノキから採取することです。
最後に「立て掻き」で、漆実採取を主目的に長い期間にわたりウルシノキを立木のまま生育させ、ときどき漆液採取を行うものです。4回の辺掻の傷が残っているものは「五才木(ごさいぎ)」と呼びます。
古くからの技術を踏まえながらも、それに満足することなく常に工夫を加え改善し、創造的に生きる姿には教えられるものが多くあります。
執筆者プロフィール
橋本芳弘
昭和30年 青森県三戸郡新郷村谷地中に生まれる。
昭和52年 弘前大学 工業試験場 漆工課卒業
昭和52年~ 教職に携わり夏休み中に全国の漆産地を行脚
平成8年~ 平成21年度青森県史編纂調査研究員(文化財部会推薦)
平成28年~平成31年3月 青森県新郷村教育委員会教育長