漆掻きさんの人数(6)

南部漆生産地域の人数

「南部漆生産の特相に就て」(小泉幸之助著 昭和14年1月)と題する小論があります。その内容は、越前漆掻工である福田源三郎氏(60歳)が話す内容を中核とするものであり、福田氏は17歳の青年時代から今日の老年になるまで2年だけ休み、ほとんどを南部漆生産地域のみで人生を終える方であると紹介されています。南部漆生産地域とは、岩手県北から青森県南にかけての区域です。「正確な數字ではないが大略該當するものと思ふ」とことわりながら、以下に示す二つの表を掲載していますので紹介します(計の設定は筆者が手を加えています)。

南部漆地域に於ける漆掻工の概況(人)
移入町村別職人 三戸町 田子町 斗川村 上郷村 猿辺村
越 前 人 5 3 6 2 1 17
浄法寺人 2 5 4 2 3 16
自町村人 0 17 5 7 2 31
其 他 3 0 3 0 7 13
10 25 18 11 13 77

備考-「其他」は南部生産地域内よりの異動(斗川村と猿辺村は現在の三戸町であり、上郷村は田子町です)

二戸郡漆主産地に於ける越前職人(人)
移入町村別職人 小鳥谷 一戸 姉帶 鳴海 浄法寺 斗米 福岡町
越 前 人 6 10 5 6 0 0 5 32
自町村人 0 0 0 0 20 10 0 30
浄法寺人 0 0 0 0 0 10 0 10
 計 6 10 5 6 20 20 5 72

備考-以上の外二三ケ村有るも少數につき省略す

上の表は青森県分であり、下は岩手県分を示しています。両県ともに特に岩手県では越前人の活動が目を引きます。一方、昭和10年代になると地元の漆掻きさんの多さを認めることができ、越前の漆掻法が地元に定着してきたことを知ることができます。著者は「當地方に於ても明治の初期より半期(明治三十年前後最盛期)にかけては漆の生産地域として盛に越前人の漆掻工が移入されたと云ふ。即ち当時の名残として今に及んで(略)若干の職人が移入してゐると聞く。」と記しています。ここでの當地方とは青森県三戸地方を示していますが、岩手県二戸地方とともに越前の漆掻きさんにより漆産地として開発されてきたことを裏付けるものです。

この小論の調査時期は昭和13年以前であり、その時期の数字が記述されているのですが、著者が記す明治30年前後の最盛期にはどれほどの越前人が来ていたのか、自分の心はおどります。青森県の17人、岩手県の32人の漆掻きさんを著者は「若干の職人」としているのです。両県合わせると100人は超えていただろうし、200人に近い数であったかもしれません。

国内の漆掻きさんは時代とともに減少したことは間違いないのです。

執筆者プロフィール

橋本芳弘

昭和30年  青森県三戸郡新郷村谷地中に生まれる。
昭和52年  弘前大学 工業試験場 漆工課卒業
昭和52年~ 教職に携わり夏休み中に全国の漆産地を行脚
平成8年~  平成21年度青森県史編纂調査研究員(文化財部会推薦)
平成28年~平成31年3月  青森県新郷村教育委員会教育長

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