昭和51年、大子町に山本生漆問屋を訪ねたことがあります。漆掻きさんではないのですが、その内容には詳しいことからここに記します。
大子の駅を出ると、看板が目に付いたため、突然ですが玄関をたたいたのです。私の勝手な、しかも突然の訪問にもかかわらず、みつさんとその子息である光二さんのお二人が話して教えてくださいました。
昭和51年当時、大子町周辺からの漆生産は、漆掻きさんは30人から40人と予想され、250貫から300貫の生産量と考えられるそうです。
仲買人は山本さんのほかに神長さんと渡辺さんの3人がいますが、お二人とも山本さんから独立した方であるといいます。
光二さんは20人の漆掻きさんを職人として抱え、150貫から200貫の生漆を扱う4代目です。
6月いっぱいの漆は初辺(しょへん)、7月・8月のものは上辺(じょうへん)、9月・10月は遅辺(おそへん)と、辺漆の樽を分けて採っています。
昔は留掻をやっていたが、戦後は枝漆を採ることはなくなりました。今日では裏目掻もしないことから10月10日で漆掻きのすべてを終えるようになっています。
漆掻きの仕事期間は約100日間で、実質3ケ月間の半端な仕事であると考えられている。かつては福井県、石川県など北陸地方からの出稼ぎ人を抱え、茨城、栃木、福島、新潟の諸県に派遣して漆生産にあたっていましたが、出稼ぎはなくなり今日抱える漆掻きさんは地元の人ばかりです。
大子町周辺の漆掻きは、昔から殺掻法です。
5年前まではウルシノキ1本100円の価格で購入したが、4年ぐらい前から150円に、平均すると350円と高くなり、太いものは1,000円にもなりました。
それでも購入できれば良しとするほど、ウルシノキの原木が少なくなっています。
帰るとき、みつさんが「役に立ててください」と小冊子を手渡してくださいました。
表紙は『山本正雄編 漆の實際知識』とあり、全24頁、奥付から昭和6年発行と分かりました。
冊子の主旨は「漆樹造林と搔取の勸め」であり、漆液搔取り方には「日本式搔法のみにても丹波式と越前式の特長あり、或いは普通搔法と鼓搔法の別あるも大別して殺搔法、養生搔法の二種に區別し得る。」と記しています。
その後、図書館で『保内郷の民俗』に
うるしかきは古くより、福井、石川、福島(会津)の人達によっておこなわれてきたが、大子町に、その技術がもたらされたのは、昭和7年と昭和15年の2回、福井県丹生郡織田町の渡辺米蔵氏の指導によってである。
の記録をみつけました。
江戸時代に入った越前式の漆掻き技術が、今日の大子町の漆掻き技術に続いていることを確認することができました。
執筆者プロフィール
橋本芳弘
昭和30年 青森県三戸郡新郷村谷地中に生まれる。
昭和52年 弘前大学 工業試験場 漆工課卒業
昭和52年~ 教職に携わり夏休み中に全国の漆産地を行脚
平成8年~ 平成21年度青森県史編纂調査研究員(文化財部会推薦)
平成28年~平成31年3月 青森県新郷村教育委員会教育長